どうも.tk89naviです.
本日は日本シリーズは移動日でお休みです.
ということで,先日都内某所で開催された「黒田博樹氏 講演会」に行ってきたので,記憶している範囲でその内容を書いてみます.
対談形式の講演会で非常に良い内容だったので時間が経つのがあっという間でした.
高校時代
話は高校時代から始まる.大阪の上宮高校出身の黒田氏は,両親(特に母親)からは非常に厳しく育てられたそう.野球部の合宿中のこと.登板する度に打たれていた黒田氏は監督から走ってこいと言われる(高校時代は基本的に控え投手,先輩にあたる元ロッテの薮田氏もよく一緒に走っていたそう).まともな食事もせず,4日間も朝から晩まで走り続けた黒田氏は,一緒に走っていたとある部員の父兄に保護(?)される.その晩,保護した父兄から黒田氏の家に無事を伝える電話が入る.黒田氏の母親が電話に出ると衝撃の一言が.
「今すぐ息子を戻して走らせてください.」
現代ではほぼ有り得ない話だろうが,当時の教育はこれが当たり前だったと黒田氏は言っていた.
大学時代
自分の力の無さから高校で野球を辞めてもいいと思っていたそうだが,専修大学に入り野球を続けることに.(自宅から通える)関西の大学から誘いはあったようだが,ここでも母親から厳しい一言が.
「家から出て行ってくれ.」
この一言で関東の大学に進学することに.プロを意識し始めたのは3年生とのことで,1つ上の先輩で当時4年生だった元広島・小林幹英氏を目当てにスカウトが出入りしていたそう.当時のスター選手は元阪神などで活躍した今岡誠氏や現ロッテ監督の井口資仁氏だったと具体的な名前も出てくる.
そして広島の現スカウト部長・苑田氏の話題に.小林幹英氏目当てなのか自分を見に来たのか当時は全くわからなかったようで,苑田氏はひたすら試合や練習を見て何も言わずそのまま帰っていくだけだったとのこと(苑田氏がスカウトということすら知らなかったという...)
プロ入り後
そしてプロの世界へ.3年生の時から真剣に見続けてくれた苑田氏から「来てくれ」と言われてドラフトで広島を逆指名.プロに入ったことについて母親はノーコメントで褒めることもなかったそう.
当時はプロに入ることが目的で,そこがゴールになっていた.それがプロ入り後の数年間低迷した原因だった.
と黒田氏は言う.その後山本浩二氏が監督になってから考え方が変わり,当時はいくらへばっていても交代してくれない.
→「完投が増える」→「エースとはこういうもの」という育成方針で鍛えられ,「勝つためには投げきるしかないという思いでやっていた」この考えが先発完投型のスタイルを作り上げたとのこと.
私もその時代を知ってはいるが,現代野球の分業制スタイルだと先発完投型はなかなか育たないのは確か.特にDHのないセ・リーグだと2打席目3打席目になると確実に代打が送られるし...
※勿論黒田氏は分業制を否定するようなことは言っていない
メジャーリーグ挑戦
メジャーの話題も.初めてメジャーに行ってオープン戦で投げた時,「この真っ直ぐじゃ通用しない」と思ったそう.ただ,「ボールを動かすこと」がこの世界で生きていくための術であるとすぐに答えが見つかったという.ツーシームを習得することは難しくはなく,その結果メジャーで大活躍.
経歴別に話を簡単にまとめるとこんな感じ.
契約について
契約についてのトークは心を揺さぶられた.黒田氏は契約は常に1年契約を希望したとのこと.普通の選手であれば複数年契約を優先するが,1年契約を希望し続けたのは,
「プロとしてのやりがい.活躍すれば次の年も契約してもらえるし,選手にとってはそれは非常に幸せなこと.プレーする上でのモチベーションにもなる.お金ももちろん大事だが,やっぱりそこは男気」
とのこと.
考え方が違う...
日本に帰るときに声をかけたメジャー球団は3つ.推定20億のオファーを断って広島カープに復帰という...
おわりに
今のところは監督業に興味はなさそう.新井さんについてはかなり話を振られていてその都度会場が沸いていた.日本シリーズの予想は解説者じゃないのでできないとのことだが,「最後はマツダスタジアムで優勝を決めてもらえれば」と仰っていた.(日本シリーズの第2戦でゲスト解説してたが...)